忍者ブログ
猫背から生首まで
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


多分アーバンギャルドの「セーラー服を脱がないで」を聴いて書いた作品。
そのまんまですね。
生徒と教師というのは兄と妹と同じく私の中で普遍的な妄想テーマです。
でも先生はいつか離れていっちゃうので、やっぱりお兄ちゃんがいいです。
2010年4月に書いたやつ。


「さよならノイズ」

 雨の日によくあるような片頭痛と耳鳴りがあの日からずっと治まらず、頭の中では電波を受信し損ねたラジオのような音が終始響いて止みません。よく晴れた空はすべてを溶かしてしまうほどの青さで、春の風に揺れる桜の花の薄桃色とのコントラストは死にたくなるほど美しく、今すぐにでもここから飛び降りてしまいたくなります。
 先生、覚えていますか。あの日、深く刻み合った傷の理由を。先生にならいくら傷を付けられても構わなかった。先生は優し過ぎるから、先生の手で私を汚して傷付けて欲しかった。そして私を記憶の底に刻み付けて、一生忘れずにいて欲しかった。先生、私は信じています。いつか先生が私を思い出した時、罪の意識と後悔によって夜も眠れないほど苦しみ、嘆き、涙を流して私の名前を呼ぶことを。
 教師と生徒であることはどこまで行っても変わらない事実で、先生はそれをずっと気にしていましたね。でも先生、私たちは教師と生徒である以前に男と女です。私は先生が好きで、一日中先生のことばかりを考えて何も手に付かず、先生の姿を見掛ければ自分のもので無くなったように心臓は激しく脈打ち、居ても立ってもいられなかったのです。先生が私の名前を呼ぶたび、私の耳は恥ずかしげもなく真っ赤に染まりました。先生はそんな私を知っていたでしょう? だからあの時、先生が言う「あやまち」を犯してしまったのではないですか?
 教師という皮を脱ぎ男に戻った先生は、鍵の掛かったあの美術室の小さな隙間でセーラー服を脱いだ女の私を抱きました。私が先生の名前を呼ぶと大きな手のひらで優しく口を塞ぎ、官能に満ちた声を耳元で囁きましたね。その秘密めいた仕草や流れるような手付きと視線で、私は生まれて初めての痛みと快楽を知りました。両目から勝手に流れ落ちる涙のしずくにキスをして、大きな腕で抱き締められたあの瞬間の喜びを、頭の悪い私は何と言い表すのか知りません。先生の黒い髪の毛とうっすらと汗ばんだ肌のにおいは私を快楽の淵に立たせたまま、虜にさせ、それから何度も私たちはあの小さな隙間で一つになりました。
 最初に誘惑したのは君だ、と先生は言います。無力で臆病な私はただ先生を遠くから見つめることしか出来なかった。それを敏感に読み取り、拾い上げてくれたのは先生です。私たちはしばしばこのことで論議を重ねました。結局いつも答えは出ないまま、私たちは体を重ねることでそのどうでも良い話を収束させました。物事の始まりに理由など無く、それは恋愛に関しても同じで、恋の始まりに理由など要らないのです。
 そして当然の如く終わりはやって来ました。私は、この恋がいつまでも続くものだとは思っていなかった。先生には家庭があるし、可愛い子供と少し気の強い奥さんが居て、そこに私が入り込む余裕も権利も無いことを、私はちゃんと知っていました。
 少しの小細工をして、私は先生に嘘を吐きました。優しい先生を騙すことは胸が痛んだけれど、これは女の私を弔い私を許す作業です。このままこの恋を続けていても苦しくなるだけ、私は先生に対する愛情が暴走し、先生に迷惑を掛けることをひどく恐れました。
 先生は驚き、狼狽し、強く私を抱き締め涙を流しました。その瞬間、大きく地面が歪み、私の頭にぽっかりと空いた穴の中にあのノイズが流れ込んで来ました。先生に傷を付けた罰として、私はこの雑音とも耳鳴りともつかない痛みを一生抱えて生きて行くのです。私は先生に忘れられることを恐れるのと同時に、私自身が先生を忘れてしまうことが怖かった。私たちは同じ痛みを抱えて生きて行くのです。この小さな隙間で狂おしく愛し合った証として。
 桜が咲くにはまだ早い、冷たい空気に包まれたその日、私は卒業しました。私の中には私でないもう一人の人間が居て、それは明日の午後には消えて居なくなり、四月になれば私はこの町を離れ、都会にある大学に進学します。
 卒業式のあと、先生と私はまだつぼみにすらなっていない桜の木の下で、小さなお墓を作りました。あと数十時間後には消えてしまう小さな命と、私たちが過ごした甘い蜜のような時間のお墓です。
「ごめんな」
 先生の大きな手のひらが私の頬に触れ、今にも泣き出しそうな瞳がこちらを向いていました。悪いのは私、一番の卑怯者は私です。それでも私は先生に出会い、恋に落ちてしまった。先生は最後まで優しくて、その言葉は私を余計に苦しませるということを無垢なあなたは知りません。私たちは人目を気にしながらも、肩を寄せ合って泣きました。これで良かったのです。私たちは男と女であるのと同時に、教師と生徒であり、それは卒業した今も変わらない事実なのですから。
 白熱灯に照らされた硬い台の上で、何度もあの小さな隙間での行為を思い出していました。先生は今日も変わらずに教壇に立ち、何事も無かったかのように古文を諭すのでしょう。麻酔が効き始め、頭の中に流れる雑音の音量が上がって行きます。先生、先生、何度呼んでももう届かない場所にあなたは居ます。さよなら先生。冷たい金属音に混じって、遠くであなたの柔らかな声が聴こえた気がしました。




拍手

PR

これも1000文字小説に投稿した作品。
多分そのサイトに投稿した自分の作品の中で一番評価が高かったやつ。
因みにユウという名前は当時好きだった男の子の名前です(痛い)。
2010年5月に書いたらしいです。


「死体ごっこ」

 チョコレートの香りが口の中いっぱいに広がって、私は血まみれなのに思わず笑ってしまった。空は突き抜けるように青く、雲は一つもないのに風は冷たくて、
「絶好の死体日和だね」
 とユウは言った。私はうなずく。笑いが止まらない。
 大好きなユウが作ってくれた血糊で私は真っ赤っか、恐らくユウも私と同じかそれ以上に赤い。狭いベランダにレジャーシートを敷いて、鍋いっぱいの偽物の血で体中を汚した。
 この遊びを見付けた時、私たちの間に流れていた怠惰な空気や負の感情が一切拭われた気がした。溶かしたチョコレートに食紅を混ぜるだけ。血糊の完成。こんなに簡単なことなら早くやれば良かったね、って私たちは何度も言い合った。
 まだ少し温かい血糊を手のひらに取り、べたべたと体中にくっつける。その様子を室内に置いたビデオカメラで撮影する。それだけの遊び。何も関係の無い人が外から見れば、異常事態に驚くかも知れない。しかしここは高層団地の八階で、高い柵がベランダを覆っている。下からは覗けないし、近くにはここより高い建物が無い。お隣さんは空家だ。こんなチャンスはまたとない。
 休みのたびに、私とユウは血糊を作って死体ごっこをした。局部的に、例えば左腕や脚の間や頭や心臓の辺り、そこだけに血糊を落としてリアリティを追求し、本物の死体により近付ける。その繰り返し。
 血まみれのユウを見ていると、本当に死んでしまったような気分になって涙が出て来る。真っ赤な私が血の涙を流してユウに縋り付くと、意地悪なユウはぴくりとも動かずに死体になりきる。
「ユウ! 起きて! 死んじゃいや! 私を置いて行かないで!」
 迫真の演技だ。ユウは勢いよく笑い出し、強い力で私を抱き寄せて、より赤くなった私たちはベランダに寝転んで空を見上げる。死体ごっこをする時のキスの味はいつもチョコレートだ。唾液と血液とチョコレートがごちゃまぜになって、最高に気持ちが良い。
「死ぬ時もこんなに気持ちが良かったらいいのにな」
「やっぱり痛いのかな。苦しまずに死にたいね。今みたいに楽しい気分のままでさ」
 真っ赤な顔が近付いて、唇にチョコレート味が再び降りる。ビデオのテープが切れる音が聞こえると、私たちはそのままセックスをした。冷たい風が体中を撫でて、ばかみたいに青い空に赤い血はよく映えている。目を閉じるとチョコレートのにおいがした。
「このまま死んでもいい。死にたい」
 そう言ったらユウは私を殺してくれるだろうか。手のひらを首筋にあて、そのままゆっくりと力を込めて行き、事切れた私はユウの腕の中でだらしなくしなる。
 そんな想像をしながら、真っ赤な顔に手を伸ばしてキスをせがんだ。チョコレートが唾液で溶ける。私は甘い死を迎えた。

拍手


1000文字小説というサイトに、数年前しょっちゅう投稿していたときの作品です。
2010年6月に書いたやつ。
自分の小説を不特定多数の誰かに評価される、という行為をそれまであまりしたことがなかったので、とても心が折れました。
でもすごく好きなサイトでした。
今もあるのかな?


「ピーチネクター」

 朝から凄まじい雨で、こんな日に宮沢さんを呼び出したことをひどく申し訳なく思った。
「びちゃびちゃだよー」
 そう言いながら下駄箱の前で傘を振り回す宮沢さんに、僕は散々謝った。ごめんねこんな朝早く呼び出して、ジュース奢るから。そんな簡単な謝罪でも笑いながら許してくれる宮沢さんが僕は好きだ。真っ黒な髪の毛、真ん丸い瞳、捲った袖の先から伸びる細い腕。性格も良い。
 玄関の時計は七時を回ったところ。購買の脇の自販機にお金を入れて、コーラのすぐ下のボタンを押したらピーチネクターが出て来た。
「うわ懐かしい! 私これがいい」
 はしゃぐ宮沢さんにピーチネクターを渡して、もう一度小銭を入れる。コーラはやめて緑茶にした。またピーチネクターが落ちて来た。
「何これ、もしかして全部同じの入ってんじゃないの?」
「そうかもね」
 仕方なく僕も赤い缶を拾い上げる。ピーチネクターを最後に飲んだのなんて、何年前だろう。
 僕たちは教室がある三階まで他愛もない話、例えば昨日の課題は終わったか、とか、数学の林の喋り方が気持ち悪い、とか、そういう話をして上がった。宮沢さんはころころと笑う。花が開くように、ポップコーンが弾けるように。とても可愛い。抱き締めたくなる衝動を抑えるのに僕は必死だ。
 誰もいない教室のカーテンを開けて、窓を開けると、雨のにおいが肺いっぱいに広がる。
「話って何?」
 缶を開けながら宮沢さんが聞いた。そのしなやかな手つきにいちいち見惚れてしまう。僕が黙っていると、携帯電話を取り出してメールを打ち始めた。誰に送るんだろう。少しだけ息が苦しくなる。ピーチネクターを喉に流し込んだ。甘ったるい。甘過ぎて吐きそうだ。
「宮沢さん」
 何て素敵な響きだろう。ミヤザワサン。
「何」
「僕のものになってよ」
 陳腐なセリフだ。生まれて初めての告白だと言うのに、それ以外に言葉が浮かばなかった。
「は? 無理」
「何で?」
「彼氏いるし」
「別れてよ」
「やだよ。私もう行くね」
 怒ったような顔をして宮沢さんは鞄を掴んだ。その細い手首を握ると、驚いた顔がこちらを向く。
「離して」
「僕のものになってよ」
「やだってば」
 振り解こうとする宮沢さんを無理矢理抱き締める。腕の中で暴れる宮沢さんは小さな子供みたいだ。なんて愛しいんだろう。
「やだ!」
 宮沢さんの最期の言葉を聞いた瞬間、僕は白い首筋に手を掛け力を込めていた。やがて動かなくなった宮沢さんの顔面を、近くにあったゴミ箱で殴る。ガション、ガション、ガション。
 頬が抉れて額が割れている。ゴミ箱の底は血まみれだ。急に喉が渇いてピーチネクターを手に取る。でも口にする気にはなれず、宮沢さんの上にじゃばじゃばと振り掛けた。血の匂いがどんどん甘くなる。
 真っ赤に染まった宮沢さんの唇に自分の唇を押し当てると、さっき飲んだピーチネクターの味が戻って来た。キスがこんなにも甘いことを、僕は生まれて初めて知った。

拍手


昔から妊娠出産というものに憧れていて、中学生の時には出産マニアみたいになってそれに関する本ばかり読んでいました。
そのせいか流産や堕胎に対する恐怖心が強く、それを反映してか中絶の話は昔からよく書いていたみたいです。
これもあんまり覚えてないけど、2010年4月の作品。


「解体と浅い夢」

 四方を真っ白に囲まれた小さな部屋の中に立ちこめているのは動物的な血のにおいでした。何も無いのに、窓も扉も何も無いただの白い部屋なのに、どこからかそのにおいは漂って来て、私の嗅覚と思考を狂わせます。どこかで嗅いだ、けもののようなにおい。白い天井を見上げると勝手に涙がどばどば出て来ました。白はどこまでも続いているようで私の真上に落ちて来るようでもあり、この部屋の広さがどのくらいのものなのか、私は皆目見当が付きません。
 涙を拭おうと手のひらを顔に近付けた時、血のにおいの出どころが分かりました。私の手のひらから肘にかけて大量の血液がこびり付き、手首に刻まれた何本もの傷からは現在進行形で血が流れています。それを目にした瞬間速くなる鼓動、どくん、どくん、という音に合わせて血が噴き出し、白い床を汚します。それは片方だけでなく両の腕から同じように流れていて、貧血でも起こしそうなはずなのに私はしっかりと立ったまま、痛みも何も感じないのでした。
 部屋には小さな音が流れています。音楽とも誰かの会話とも区別が付かないほどの小さな音量でとても耳に心地良く、次第に私は眠くなりました。あくびを続けて三回して、血まみれになった床に横たわります。腕から流れ続ける血液を見つめながら、ぼんやりと死を思いました。このまま私は死んでしまうのだろうか。まだ二十年しか生きていないのに。でも不思議と怖くない。人間が死ぬということは、痛みも苦しみも伴わず、ただ眠ったまま目が醒めなくなることなのかも知れない。
 ゆっくりと目を閉じると、そこには赤い夕焼けが広がっていました。強い西日に目を細めながら、私はまだ小さな妹と公園のベンチに座っています。
「何時になったら帰れるん?」
 幼い妹は私に尋ねます。私はただ首を振り、公園の中央に置かれた丸い時計をじっと見ています。妹の小さな手のひらを握ると熱い体温が伝わって来て、母の言葉が頭の中でこだましました。
「あんたなんか産まなきゃ良かった。あんたの所為で私の人生めちゃくちゃよ」
 母の機嫌を窺うことばかりに気を回し過ぎて、いつの間にか私は完璧な子供になっていました。学校での成績は常に一番で、走れば男子よりも速く、絵を描けば必ずコンクールで賞を取り、母はその度に私を愛し抱き締めてくれました。それでも、ごくたまに体調を崩した結果としてテストの点数が百点に満たなかったりすると、その言葉を吐き捨て、私と妹を家から閉め出すのです。常に完璧を求められていた私の体はそろそろ限界で、走り続けることに無理を感じていました。母はそれを知らない。このまま足の裏がただれても、呼吸が出来ないほど苦しくなっても、私に走り続けることを命じました。真っ赤な夕焼けと反比例するように外の空気は冷たく、私と妹は身を寄せ合って寒さに耐えています。それは何度も繰り返された小学生の頃の記憶でした。
 どれくらいの時間が経ったのでしょう。私は目を醒ましました。腕の血は止まっていて、床は真っ白なままです。手首の傷もいつしか消えていました。それでも部屋の中の血のにおいは未だ消えず、更に濃度を増したように思えます。白い床にぺたりと頬をくっつけて、少しでも血のにおいから逃れようとしましたが、どこまでもどこまでもそれは追い掛けて来て、私を閉じ込めてしまうのです。
 血液に封じ込められた私は、酸欠の金魚のように仰向けに寝そべり口をぱくぱくと動かしました。その瞬間、天井から細長い何かが落ちて来ました。一つ、二つ、それは段々と数を増し、遂には私の体の上にも小さな衝撃が生まれました。上体を起こしお腹の上に落ちて来たそれを手にとると、濃い血のにおいが私の肺を満たします。よく見るとそれは小さな腕でした。手首から先は千切れています。先端には固まった血液がこびりつき、既に黒く変色し始めていました。
 辺りに転がる細長い物体も、よく観察してみると小さなふとももであったり、血まみれの胴体であったりしました。ゆっくりと増えていく小さな人体のかけらを前に、私はどうすることも出来ず途方に暮れました。このままではこの部屋がばらばらになった体で埋もれてしまう。どうにかして片付けないと。
 その時頭の上をかすったのは、丸いボールのようなものでした。足元に落ちたそれを拾い手の中で転がすと、ボールの上に乗っかった二つの瞳と目が合いました。目玉はじっとこちらを見たままで、私は目を逸らすことも出来ずに見つめ合ったままです。そのうちにゆっくりとその二つの真っ黒な瞳に吸い込まれるようにして、私の周りは黒い闇に包まれて行きました。
 真っ暗な部屋の中に私は立っていました。ここにもやはり血のにおいが漂っています。暗闇の中、前方に小さな女の子が佇んでいました。表情は暗くて読み取れず、白いワンピースだけがぼんやりと輪郭を浮かび上がらせています。この部屋には音が無く、女の子がすすり泣く声だけが静かに響いていました。彼女のもとに行くべきなのかどうか思案しながらも体はその場に固まったまま動かず、私は立ち尽くすしかありませんでした。
「理沙」
 すぐ後ろで、私の名前を呼ぶ声がしました。振り向くとそこには見覚えのある顔、数日前まで恋人だった賢太郎が立っていました。背の高い賢太郎は見下ろすように私を見つめ、弱々しく首を横に振ります。女の子の方をもう一度見ると、もうそこに彼女の姿はありませんでした。賢太郎は悲しそうな顔でこちらを見ています。何と言葉を発したら良いのか分からず、私はその場にうずくまりました。そしてその瞬間、あの白い部屋に落ちて行きました。
 先ほどと違うのは、白い部屋を埋め尽くしていた人体のかけらと血のにおいが消えていたこと、部屋に窓があることです。窓の外には雲一つ無い真っ青な空が広がっていました。私は慌てて窓を開け、青い空の下に飛び出して行きました。
 足元は青々と繁る芝が広がり、地平線は果てしなくどこまでも続いて行きます。私は走り出しました。足の裏が擦り剥けてじんじんと痛んでも、呼吸のし過ぎで肺が痛くなっても、走り続けました。あてなど何も無く、ただ走らなければならない、という根拠の無い使命感に支配されていたのです。
 青と緑の境目を目指して、私は走ります。どれだけ走っても終わりは見えません。そのうち、がくん、という音が体内に響いて、もつれるように私はその場に倒れ込みました。荒い呼吸で何度も胸は上下し、気道はすっかり乾いて咳込んでしまいます。意識がぼんやりと戻って来ました。痺れるように、体の奥からどくんどくんと心臓が動く音が聞こえます。世界が引っくり返ったようにふわふわと浮かんだままの感覚で、私の体は縮こまりました。
 少し落ち着いた頃、仰向けになりただ青いばかりの空を眺めていると、あの血のにおいが再び漂って来ました。それから逃げようと寝返りを打つと、小さな顔がこちらを見ています。二つの黒い瞳はゆっくりと口を動かし、ほんのりと笑みを浮かべ
「ハヤシサン」
 私の名前を呼びました。

「林さん、終わりましたよ。麻酔が切れたらもう帰れますからね」
 事務的な、それでいて柔らかい女性の声が耳元で響き、目を醒ますと幾つものまばゆい照明が目に飛び込んで来ました。青い布に包まれた私は手術台の上で脚を広げられたままの体勢で、下腹部にじわりと広がる痛みを知りました。声の主は手際良く私を担架に乗せ、薄い桃色の壁で囲まれた部屋の硬いベッドの上に私を寝かせます。
「何かあったら枕元のコールで呼んで下さい。夕方までには帰れると思いますから」
 忙しなく踵を返して去って行く白衣の背中を眺めながら、ぼやけた意識が下腹部の痛みによってはっきりと覚醒して行くのを感じていました。私はまた一人きりになってしまった。日暮れの影を目で追っていたはずなのに、いつの間にか視界が滲んで行きます。目を閉じると広がるあの白い部屋。私は清潔なにおいのする枕に落ちた水滴の冷たさを頬で感じながら、少女の行方を追っていました。


拍手


最初に小説というものを書いたのは中1の時だったけれど、ちゃんと記録に残してある一番古い作品って多分これだったと思います。
今読み返すとゆるふわっぽくてなんかむず痒い…
2007年6月、離婚する1ヶ月くらい前に書いたやつです。
長崎県島原半島の端っこで、海っぺたに車停めてガラケーでちまちまメール送信画面に打っていたことをよく覚えています。


「螢」

 太陽くんの夢を見た。内容はよく覚えていない。でも、水があった気がする。あとは後ろ姿。虫眼鏡。断片的にしか思い出せないのはいつものことだ。上手く現実を直視出来ない私の性格が顕著に出ていると思う。
 太陽くんと知り合って、もう随分経つ。まだ二人とも学生だった頃、ずる休みをした日の路面電車の中で初めて彼を見た。学生服を着た彼は、同じくセーラー服を着た私に親近感を覚えたのかも知れない。声は向こうから掛けて来た。適当な駅で降りて、日が暮れるまでくだらない話をした。
 目が覚めたのは正午過ぎだった。遮光カーテンの向こう側ではとっくに世界が始まっている。取り残された、とは思わない。ごくろうさま、とは思うけれど。
 夢の報告をしようと思い、太陽くんに電話をした。太陽くんは"不真面目な"会社員だ。私から掛かってきた電話を一度も取り損ねたことがない。
「もしもし」
「もしもし」
 低く穏やかな声に、ひどく安心する。
 強がっているつもりはないが、私は今の状態にもしかしたら物凄く焦っているのかも知れない。職は無く、恋人も配偶者も無く、連絡が取れる友達は皆無、親のすねをかじって引きこもり、才能も無い。
「自由は幸せなことだよ」
 いつか太陽くんはそう言ったけれど、結局はただの甘えなのだ。そしてそんな自分を改めようとしないのは、自分が可愛いから。楽をしたいだけだから。ぬるま湯から抜け出すのが怖いから。それに尽きる。焦っているのは、このまま、腐った人間のまま一生を終えるのではないかということ。
「夢を見たの」
「何の夢?」
「太陽くんの夢」
「へえ」
 太陽くんは感情をあまり外側に向けない人間だ。よく「へえ」と言う。興味が無いのかも知れない。でも、私はそれが嫌いじゃない。
 私たちは昔同じ細胞だったのではないか、とたまに思う。私と太陽くんはよく似ている。顔が、とか、性格が、とか具体的なものではなくて、ただ何となく。強いて挙げるなら生き方が。
 私と太陽くんは恋人も作らずにふらふらしている。
「作れない訳じゃない」
 と太陽くんは言うし、私もそうだ。「作れない」のではなく「作らない」のだ。他人と近付き過ぎるのが怖い。まあ実際はそんなに大袈裟なものでもないのだが、他人のことで気を揉んだりするのが面倒臭いのだ。
 面倒臭い。それが一番簡単で、的を得た答えだと思う。
 似た者同士の私たちは、お互いを「恋人」だとは思っていない。買い物にも食事にも出掛けるし、キスもセックスもする。心もとない時には手を繋ぐ。不安に押し潰されそうな夜には抱き合って眠る。でも「恋人」が持つ権力――浮気しないで、とか、結婚しようね、とか、未来の約束とか――は持たない。束縛をする気が無いと言った方が良いのかも知れない。かと言って「友達」ではない。「兄弟」とも違う気がする。よく分からない関係なのだ。

「ねえ、ホタルを見たくない?」
 夢の話をしたあと、ネコの発情についての考察を披露していたら、唐突に太陽くんが言った。太陽くんになら話をぶった切られても許せるのは何故だろう。互いの感情がそこに存在しないからだろうか。
「ホタルなんてどこにいるの?今二月だよ?」
 受話器の向こう側で太陽くんが静かに笑ったのが分かった。口の端を少しだけ持ち上げ、にやり、と。悔しいので私も笑ってみる。久し振りに顔の筋肉を動かしたので、頬が攣りそうになった。
 翌日、私たちはホタルを見るために高速道路を走っていた。"不真面目な"会社員である太陽くんは「父が危篤で」とずる休みをしたらしい。太陽くんの家は母子家庭なのに。
 RADIOHEADを入れた私のMDはところどころ音飛びしていて、車内は変に落ち込んだ空気で満ちていた。私も太陽くんもあまり口を開かなかったが、悪い雰囲気ではない。これくらいの距離が心地良いのだ。それを理解してくれる人間を、私は今のところ太陽くんしか知らない。
 日が暮れ始める頃、ようやく目的地に着いた。私はそれまでどこに向かっているのかも知らされていなかったのだが
「昔おばあちゃんの家があったんだ」
 という山の奥地の畑のど真ん中で車は停まった。車を降りて体を伸ばすと、背骨がばきばきと鳴った。吐く息は白く、空気はとても冷たい。清潔な感じがして気持ちが良かった。
「ごめん、ホタルなんて嘘」
 小さな声で太陽くんが言う。何を今更分かり切ったことを言っているのか。
「うん、知ってた」
 笑いながら振り向くと、太陽くんは赤と紺が混じりあった空を見上げながら泣いていた。夕日の所為か、顔は真っ赤だった。
「例えば、例えばさ、『止まない雨はない』とか『春が来ない冬はない』とか言ったりするだろ。でもそれって本当なのかな。ずっと降り続ける雨も、春が来ない冬も本当は存在するんじゃないのかな」
 太陽くんの真意が見えずにしばらく突っ立ったまま動けないでいると、遠くで「夕やけこやけ」のメロディーが聴こえた。空は徐々に暗くなり、妙な寂しさが心臓を締め付けて行く。
「それを信じて生きるのはいけないことなのかな、それに縋って生きるのは悲しいことなのかな」
 太陽くんの涙を見たのは初めてのことだった。私はただ何も出来ず何も言えず、突っ立っていた。
 それはつまり太陽くんの生き方そのもので、私自身が目を背けて来た私の生き方でもあった。現実を直視出来ない私はそんなことを考えたことすら無かったけれど、きっと太陽くんは不安だったのだ。私よりずっとずっと繊細に出来ているのだろう、太陽くんは。男の子が泣く姿を見たのも初めてだった。
 ひとしきり泣いたあと、太陽くんは無理矢理笑顔を作って
「帰ろう。ごめんこんなところまで連れて来て」
 と私の手を取った。見上げた横顔は、もういつもの太陽くんに戻っていた。
「夏にはちゃんとホタルが見えるんだよ。また夏に見に来よう」
 私は頷いて返事をする。
「あ」
「あ?」
 運転席に乗り込みながら、太陽くんは私の方を見た。腫れぼったい目が痛々しかった。
「もしかして初めてじゃない?そんな約束したの」
「そうだっけ」
 私たちの関係は近付いたのだろうか、遠ざかったのだろうか。

「生きることってさ、そんな簡単なことじゃないじゃない。死のうと思えばいつだって死ぬことは出来るし、いくらでも逃げ道はあるのに、『ちゃんと生きよう』『こう生きよう』と思って生きることは難しいんじゃないかな。誰かに決められるものでもないし、自分が良いと思うならそれが正確なんだよ。後悔したらやり直せば良いんだよ。生きているうちはやり直せるんだからさ」
 昔どこかで誰かに聞いたセリフと同じような言葉を太陽くんに捧げていたら、まるで自分自身に言い聞かせているようだと思った。太陽くんは口の端を少しだけ持ち上げて
「ありがとう」
 と言い、私たちは来た時と同じ道をゆっくりと帰った。

 車内では相変わらずRADIOHEADが音飛びをしている。来た時よりもほんの少しだけ饒舌になった太陽くんは
「トムヨークも粋な歌い方するね」
 と穏やかな口調で呟いた。
 帰ったら、二週間振りに部屋の掃除をしよう。気力が湧いたら求人誌を買いに行こう。湧かなかったらもう少しモラトリアム期間を満喫しよう。生きていればどうにかなるさ。出来ることからすれば良い。トムヨークだって生きているし。太陽くんだって生きている。

 高速道路の高い塀の向こう側にはちらちらと街の灯りが見える。
「ほら、ホタル沢山いるよ」
 そう指差すと太陽くんはばつの悪そうな笑みを浮かべ、
「へえ」
 と言った。

拍手


このお話は自分でも凄く印象に残っているので書いた記憶があります。
力強くて泥臭くて勢いがあるなあと、当時の自分を振り返って思ったり。
2010年7月に書いたものです。
このころまだ25歳だったな…


「虚空という名の野良猫」

 「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」
 入学式の翌日、わざわざ私の席にまで来てそう言ったのは、同じクラスの上田くんでした。上田くんの目は子犬のように真っ黒でそれこそ淀みがなく、純粋な輝きを放っていました。
 そんなこっ恥ずかしいセリフよく言えるな、と思ったものの、誰かに「好き」と言われても別に嫌な気持ちはしません。私は、自分でも気持ち悪いと認識出来るレベルの愛想笑いを浮かべて
「あ、ありがとう」
 と上ずった声で答えたものでした。
 上田くんとは理科の実験の班が同じで、掃除の班も同じで、気付いたら席替えで隣の席になっていました。上田くんは、ことあるごとに私に声を掛けてくれました。おはよう、とか、また明日な、とか、挨拶程度の言葉でしたが、そんな言葉を一度も掛けられたことのなかった私は心の中で密かに喜びました。身の程知らずというものでしょうか。それは小学校の頃から続く女子からの陰湿ないじめを加速させるにはとても良い燃料になりましたが、このクラスで私のことを少しでも気に掛けてくれる、認めてくれる存在が一人でもいるということが、頑張って明日も学校に来よう、という気持ちにさせてくれたものでした。
 上田くんは今、「僕は春野さんのその真っ直ぐで淀みのない目が好きだよ」と言った時と同じ子犬のような瞳で私を見ています。私の上には同じクラスの男子が三人、ここは放課後の体育倉庫といういかにもなシチュエーションで、私の体をまさぐる六本の腕が汗と湿度と荒い呼吸たちに勢いをつけ、体育倉庫内の温度をどんどん上げて行きます。
「春野さん、こういうの好きでしょう?」
 そう言いながら上田くんは私の髪の毛を掴み、思いっきり右の頬をグーで殴りました。目の前が真っ白になり、まぶたの裏にいくつもの星が飛びます。「ぐふぅ」という色気の無い叫びにもならない声が私の口から漏れると、四人のクラスメイトたちは手を叩いて爆笑です。私はエンターテナー、人々を楽しませるのが仕事なの。そう自分に言い聞かせてもやはり悲しいこと、痛いことに変わりはなく、荒々しく乱暴に扱われた所為で私の下腹部、つまり膣の周りはずっとひりひりしています。髪の毛に飛んだ精液と、体育倉庫のほこりっぽいにおいで今にもむせてしまいそうです。
「今日はもうこのくらいにしとく?」
 上田くんはそう他の男子に意見を求めると、一番体の大きな野球部の中川くんが
「じゃあ俺最後にもう一発やる」
 と言いながら私の下半身に噛み付いてきました。お前最低だな、と同じく野球部の吉田くんが笑います。私はもう声も出せません。きっと私のそこは赤く腫れ上がっているのでしょう。
 お父さんに何て言えば良いんだろう。朦朧とした意識の中で私は考えました。クラスの男子に輪姦されたのは今日が初めてではないけれど、いつもお父さんが私の部屋に来る日とは別の日でした。お父さんが私の部屋に来るのはお母さんが夜勤の日だけ。それは水曜日と土曜日で、残念ながら今日は水曜日なのでした。
 中川くんの体が、私の上にのしかかり、更に私の中心めがけてぐりぐりとそこを突き破ってきます。気持ち良いだとか痛いだとか、そういう感覚は既に一切無く、じんじんとただ痺れるだけで、灰色の天井を見上げながら、ああ早く終わらないかなあ、と私は思います。そして、虚空のことを考えました。虚空は学校の裏にいるメスの黒猫で、とても臆病な性格の所為か普段は絶対に生徒たちの前に現れることはないのですが、なぜか私にだけは懐いているのです。「虚空」という名前は私が勝手に付けました。何となく、響きが可愛いかなあ、と思って。
 私は虚空に何でも話しました。声に出して言うとはばかられるようなことばかりなので、主に心の中でですが、それでも虚空には全て伝わっているような気がします。虚空は私の目をじっと見て、小さく、にぃ、と返事をしてくれるからです。ごろごろとのどを鳴らしながら何度もすりすりと体を寄せて甘えてくる虚空が、私は可愛くて仕方ないのです。虚空にだけは、何でも言える。猫は絶対に裏切らないし、嘘も吐かない。
 中川くんは私の口の中にどろどろとした体液を放つと、私の頭を掴んで奥までそれを押し込んで来ました。青臭い精液のにおいとのどの奥を刺激されたことで私は今にも吐いてしまいそうでしたが、今日の給食はクラスの女子に全部取り上げられてしまっていたので、私の空っぽの胃袋からは何も出ては来ないのでした。
「じゃあね、春野さん。そこちゃんと片付けとくんだよ。分かってるね? また明日ねえ」
 上田くんは私が他の男子に輪姦されているところを見ているだけで、絶対に自分では手を下しません。いつも子犬のような瞳をころころと転がして、笑っているのです。それはきっと私が汚いからでしょう。クラスでも人気のある上田くんが、こんな私に少しでも触れたらきっと腐ってしまいます。
 ひとり残された体育倉庫で、天井を見上げると視界がぴかっと光りました。その直後に物凄い勢いで雨が降り出し、ごろごろと雷が鳴り始めました。私は虚空のことを思い出しすと、ぐちゃぐちゃになってしまった制服を適当に直して、辺りに散乱したティッシュを拾い集めて鞄に突っ込み、体育倉庫の外へ飛び出しました。
 テスト前なので、部活はどこも休みです。いつもは運動部で賑わうグラウンドも、人っこひとりおらず、勢いよく降りしきる雨で土がどんどんえぐられていきます。雨に濡れるのも構わずに、私は校舎の裏まで走りました。雨が髪の毛に付着した精液も洗い流してくれるかも知れない。そんなことを思ったりしました。
「虚空、虚空」
 裏口付近の屋根がある階段のそば、いつも私が虚空との密会を果たしている場所で、何度も虚空の名前を呼びました。雨がひどいので出て来ないのか、雨の音で私の声が聞こえていないのか、虚空は姿を現しません。私はその場に座り込み、雨が止むのを待ちました。今家に帰ればまだ誰もいない。お母さんは夜勤に出掛けたあとだし、お父さんが帰ってくるのは夜の九時過ぎです。それまでにシャワーを浴びて何事もなかったようにお父さんを迎え入れなければなりません。お父さんは、私を抱きながら
「お前だけは俺を裏切らんといてくれ。もう他の女はたくさんだ」
 と泣きます。お父さんはクラスの男子のように私の体を手荒に扱ったりすることもないし、私もお父さんのことが別に嫌いではないので、それを拒否したりすることはありません。これは小学校四年生の夏休みから続く私とお父さんの秘密ごとです。誰にも言ってはいけないのです。あ、でも虚空にだけは話してしまいましたが。
 にぃ、という鳴き声で顔を上げると、雨に濡れてひとまわり体が小さくなってしまった虚空が私の隣に座っていました。私が鞄の中からパンを取り出し虚空に与えると、嬉しそうに虚空はそれを頬張りました。これは給食室のおばさんに頼んで貰ったものです。パン一つじゃ足りなくて、と言うとおばさんは少し怪訝な顔をしましたが、大量に余っているパンの一つを私にくれました。いつもは給食のパンを残して持って来るのですが、今日はそうも行かなかったので。
「美味しい?」
 そう聞いても虚空は返事をすることもなく、がつがつとパンを貪っています。私は今日学校であったこと、「死ね」と書かれたノートがまた三冊増えたことや給食の牛乳に赤い絵の具を混ぜられて無理矢理飲まされたこと、それを見ながら指をさして笑っていた担任のひどい顔やクラスの女子が私に浴びせた罵倒の数々、そして放課後連れ込まれた体育倉庫でクラスの男子に輪姦されたことなどをひとつひとつ思い出しながら話しました。決して口には出さず、心の中で話しかけると、虚空はごろごろとのどを鳴らして答えてくれます。黒いつやつやとした毛並みを撫でながら虚空と話をしている間が、私にはとても落ち着ける時間なのです。虚空はとても綺麗な猫で、顔立ちも凛々しくきゅっと締まった体から伸びる四本の脚はとても美しい。私も猫になりたかったな。虚空にそう話しかけると、顔を上げて小さく、にぃ、と鳴きました。
 雨が小降りになった頃を見計らい、私は学校をあとにしました。夜になればお父さんが私の体を求めて部屋にやってきます。それまでにシャワーを浴びて、部屋を片付けて、今日学校で出された課題を終わらせなければいけません。
 家に帰るまでの間、この世の不幸は私が背負っている、だからみんな私の代わりに幸せになればいい! などと考えていたら涙が出て来ました。いえ、あれはきっと涙ではなく雨だったのです。私は辛くなどありません。こうして生きることが私に課せられた使命であるのなら、喜んで受け入れましょう。
 玄関を開けると、お父さんが立っていました。
「遅かったな……」
 そう言いながら私を殴り付けるお父さんは、いつものお父さんではありませんでした。
「こんな時間まで何をしていた? テスト前だから学校はもっと早く終わるはずだろう。俺はお前に会いたくて、早くお前と二人きりになりたくて、仕事を早退して帰ってきたのに! 何故もっと早く帰って来ない!」
 上田くんが私にしたように、お父さんが私の髪の毛を掴んで頬を何度も殴りました。涙なのか血なのかすらよく分からないものがそこらじゅうに飛び散り、鉄の味がする口の中で、何度も「ごめんなさい」と呟いたけれどそれはお父さんには届いていないようでした。
 お父さんは制服のリボンを勢いよくむしり取ると、それで私の両手をくくって玄関の鍵を閉めました。そして私の下着を剥ぎ取り、ショーツを私の口の中に突っ込みます。むあっとした精液のにおいが口の中にもう一度広がって、私はまた吐きだしそうになりました。しかしそれすら許される間もなく、お父さんは私の膣をぐいぐいと掻き混ぜました。
「おいお前、他の男とやったのか? これは何だ……」
 差し出された中指には血と精液が混じった半固体状のものが巻きついていました。首を大きく横に振ると、
「嘘をつくな!」
 そう言ってお父さんはまた私の頬を殴りました。そして涙を流しながら自分も下着を取り、私の中にずんずん入って来ました。
「お前だけは信じてたのに……、お前だけは……」
 お父さんの涙が私の顔の上にぼたぼたと落ちて来ます。目をつぶると顔に唾が飛んできました。私が生きている世界はこんなにも不条理で、異常で、真っ暗です。神様、神様、もしあなたがいるのなら、次に生まれ変わった時は私を猫にして下さい。
 熱い体液が私の中に流し込まれたあと、お父さんは私を玄関に放置したままどこかに出掛けて行きました。顎と腕の力を使ってなんとかリボンをほどき、口に詰め込まれたショーツを取り出すと、立ち上がって浴室に向かいました。外はすっかり日が暮れて、まだ雨は降り続いているようです。浴室の電気を点け、鏡を見ると、ぼさぼさのおかっぱ頭の女が映っていました。久し振りにまじまじと見る自分の顔はそりゃあひどいもので、痣だらけ傷だらけ、腫れ上がったまぶたの下にくっついている小さな目玉は淀みまくっているし、これはいじめの標的になっても仕方ない、と無理矢理納得させられてしまいました。
 熱いシャワーを浴び、体をごしごしと洗います。下腹部にお湯を当てると思いっきりしみたので、そこはそっとぬるま湯で洗いました。初潮がまだ来ない私の膣から血が流れるなどおかしな話なのですが、そこからあふれ出したわずかな血液が、お湯に混じって排水溝に吸い込まれて行きました。
 お父さんはどこへ行ったんだろう。少しだけ冷静になった私は考えました。お父さんはいつ帰って来るんだろう。帰ってきたら、また同じことをされるかも知れない。いや、今度は殺されるかも知れない。もしかしたら、凶器になりそうな刃物を買いに行ったのかも知れない。私はまだ死にたくない。こんな世界でも、授けられた生はせめて全うしたい。
 髪の毛も乾かさず、投げ込まれた洗濯物の中から適当に選んだTシャツと体育の授業で使う短パンを履いて、私は家を出ることにしました。外はまだしとしと降り続いています。玄関に立てかけてあったビニール傘を差して、私は学校に向かいました。虚空に会いたかったのです。虚空は、こんな私を許してくれるでしょう。こんな醜い汚れた私でも、きっと虚空なら全て受け入れてくれるはずです。早足で歩くと雨が跳ね返ってふくらはぎを濡らしました。そんなことは気にもなりません。頭の中は虚空でいっぱいでした。
 閉じられた門をよじ登る頃には雨が大分小降りになっていて、濡れたアスファルトの上を歩きながら虚空に思いを馳せました。今日は虚空と一晩ここで過ごそう。明日の朝、お父さんが会社に出掛けたあとに家に帰って急いで準備をして、何もなかったようにまた学校に来ればいい。とりあえず今夜は家の中にいるのは危険だ。虚空が私を守ってくれる。
「虚空、虚空」
 私は虚空の名前を呼び、暗闇の中から、にぃ、という声が聞こえて来るのを待ちました。しかしいっこうに虚空は現れません。私は名前を呼びながら周囲を歩きまわりました。そして低く唸るような鳴き声と、闇の中に浮かんだ四つの黄色い目玉を見付けました。
「虚空?」
 目が合った虚空は私のことなどお構いなしに、上に乗せたオス猫に向かって甘い声を発しています。一瞬で状況を把握した私は、
「あ、お邪魔してごめんねえ」
 などと白々しい言葉を投げ掛け門の方へ歩き出しました。虚空は絶対裏切らないと思ったのに。猫を信じることさえ許されないなんて、私の人生めちゃくちゃだ。
 私は傘をその場に投げ捨て、ああああああああああああああああああああ! と叫びながら校庭を走り回りました。そしてぬかるみに足を取られ、そのまま泥だらけのグラウンドに突っ伏しました。
 息が荒く、呼吸とともに口の中に入り込んで来た泥で、舌の上はじゃりじゃりしています。寝返りを打ち、天を仰ぐと、雨粒の一滴一滴が落ちて来るのがよく見えました。
「あーあ」
 思わず口から出たのはその言葉だけで、私は思わず笑ってしまいます。あーあ。
 きっとこの世に神様なんていない。信じる方が悪い。私は私しか信じちゃいけないんだ。そう思いながら見上げた空は綺麗な紺色で、それは制服のスカートの色と同じ色でした。
 私は起き上がり、家までの道を歩きます。時々通りすがる車のヘッドライトが照らす雨粒が、きらきら光って、それはとてもとても綺麗でした。おわり。


拍手


最近よく恵まれない家庭の女の子の話を書いてるなーと思って昔の作品を読み返してみたら、昔からそんな話ばっかり書いていたことに気が付きました。
2010年3月に書いたやつです。
これもまったく書いた記憶ない…


「赤いミルク」

 家の中が血のにおいで満ちているのは今日に限ったことではなく、最早日常的な光景でありまして、頭から血を流し目からは涙を流し、口からは既に言葉で無くなった叫びとも嘆きとも言えるものたちが母から弱々しく飛び出して行きました。私は何も出来ず、何も言わず、何もせず、帰宅したことを兄に悟られないよう忍び足で廊下をゆっくりと慎重に、心臓が打つ鼓動に合わせ、滑るように渡りきりました。内側から鍵を掛け、ミッションコンプリート。居間からは兄の罵声と母の悲鳴、何かが壊れる音。どうにかしなければならない、どうにかしなければ、私が動かなければ母が死んでしまうのは時間の問題です。それでも私がどうにも出来ない、どうにもしないのは、私とあの二人は他人だからです。血が繋がっているというだけの関係、家庭という名の監獄。監獄での生活に飽きた兄は監獄を支配している母に対して下剋上を起こし、監獄から出ようと必死なのです。血縁関係ですべてを支配出来ると思ったら大間違い、母の独裁政権は下剋上によって呆気なく崩壊しました。私は兄に加担する気も母を救助する気もありません。自分以外の人間は皆他人、他人と他人の間で起こった紛争にわざわざ割り込むなど、お節介以外の何物でもありません。私はお節介が嫌いです。他人に干渉されるのが嫌いです。私の生活をじっとりと鑑賞され勝手に感傷的な気分に浸られても困ります。自己満足のために私に哀れみと侮蔑の視線を送るクラス担任。知っています。あなたが至極一般的な家庭に生まれ育ち何の不幸も無く公務員という安定した職業に就き、幸せな結婚をして可愛い子供たちにも恵まれ、それでも何か刺激が足りなくて退屈な日々に差し込む一筋の不幸を探してうずうずしていることを。そこに現れた格好の標的、サンプルが私です。母子家庭というだけでもそこに不幸のにおいが渦巻いているのに、更には引きこもりの息子といじめに遭い保健室登校をしている娘、パートで得た僅かな収入で公営住宅に住み、車も無く貧困の底で地味に生活を送る、まさに低所得者層のサンプルのような家庭。これを発見した時担任は小躍りしたことでしょう。何かにつけ目を掛けているふりをしながら監獄の内情を聞き出そうと必死です。私がそれを拒絶すると憐憫の眼差しをこちらに投げ掛け、あれやこれやと騒ぎ立てる。私は知っています。あなたが興味を持っているのは私自身では無く私の身に降りかかる絵に描いたような不幸であることを。私があなたに救いを求めたところで現実は何一つ変わらず、監獄の秩序は今以上に乱れ、その様を存分に楽しんだのち勝手に去って行ってしまうことを。
 私だってこんな地獄みたいな家に好きで生まれた訳ではありません。あわよくば監獄から抜け出そうとタイミングを窺っています。例えばもし兄が母を殺してしまったら、私はこの世にたったひとりきりになることでしょう。天涯孤独の可哀想な女子中学生としてきっとどこかの施設に入ることになります。私の未来などこの家に生まれ落ちた時点で真っ黒に塗り潰されていることは分かっているのですから、どうせなら真っ黒な未来を更に塗り潰す覚悟で兄と一緒に母を殺してしまうのが一番良い方法なのかも知れません。それでも私が何もしないのは、自分の手を汚したくないから、という単純な理由だけで、面倒なことはすべて兄に任せ甘い蜜だけ吸ってやろうという私の性格の悪さ、強かさを露呈しています。もう、何もかもが面倒なのです。誰かを殺すことも、自分を殺すことも、それにまつわる全ての事例が面倒くさい。現実を憂いて特急列車に飛び込むくらいの勢いがあれば良いのですが、私にはその勇気すらも無い。つまりはヘタレ、ただの弱い人間です。
 部屋の扉の前でうずくまり耳を塞いでいるふりをしながら外の世界に耳を傾けていると、兄の部屋の扉が閉まる音がしました。居間からは母の低いうめき声、このまま放置していたら母は死ぬでしょうか。何もしない私は母を見殺しにするということになりますか? ただ傍観しているだけ、何も知らないふりをしているだけ、それだけで母を殺すことになりますか? 殺人者になりますか? 他人と関わりを持たず自分の世界の中だけで生きて行きたいのに、それが私の一番の幸せなのに、現実はそれすらも許してくれないのですね。
 音を立てないようにゆっくりと鍵を回し、扉を開けました。濃度を増した血のにおいが鼻をつき、込み上げてくる吐き気を抑えきれなくなった私はその場に吐瀉物を撒き散らしました。兄の部屋の扉が開く音、隙間からこちらを覗き、私の動向を窺っている兄のいやらしい視線が突き刺さります。血のにおいとすえた吐瀉物のにおいとが混ざり合って、更に胃は痙攣し続けます。何度も上下する体、まるで自分の体ではなくなってしまったように、それこそポンプのように胃液を吐き出す私という肉の塊。荒くなった呼吸に合わせ口元の水分を制服の袖で拭き取り、這いつくばるようにして母の元へ向かいます。辺りに散らばった血の塊は新しいものから古いものまで、よくもまあ母はまだこんな状態で生きていられるなあと感心してしまうほど多量にこぼれていて、割れた皿の破片と伸びきったビデオテープ、血の染み込んだ週刊少年ジャンプ、「かわいいおべんとう 365日」という母の本、壁を向いたままのブラウン管、放り込まれたままの洗濯物に埋もれるようにして母は倒れていました。
「大丈夫? 救急車呼ぶ?」
 事務的に私は声を発します。乾いた声は血と吐瀉物のにおいとすべてを諦めてしまったような夕方の眩しい西日で充満した部屋で空回りました。ああ、これがすべて夢なら良いのに。初めから私という存在は無く、この家には兄と母の二人きり、二人の間に起こる紛争は二人の間で解決して下さい。それが母の死という形で終わりを迎えようと、私は存在していない存在で、母の子供でも兄の妹でも無いのだから全く関わりを持たずに居られます。何も知らず、何も見ないまま、私でない私は過ごすことが出来ます。しかし現実は無情にも私に私という存在を知らしめ、苦しめます。虚ろな目で首を横に振る母を抱え、既に固まり始めた血液を洗濯物のタオルで拭い、部屋を片付け始めました。
「ごめんね」
 母の声が同じように空回り、私は聞こえないふりをしながら黙々と足元に転がる血のにおいのするものたちを拾い上げます。窓を開け新しい空気を部屋に取り込むと淀んだ部屋に漂う悲壮感は更に増し、きらきらと輝く夕日を拒絶するかのように台所は暗く闇に沈んでいます。今ここでベランダの柵を乗り越えたら、私は楽になるでしょう。高層十一階建ての最上階の小さな部屋、真下に広がるアスファルト。この柵が今私を天国と地獄に分けています。それでもやっぱり私にそこを飛び越える勇気は無く、地獄にとどまり続けるしか方法を知らない私は窓を閉め、カーテンを閉め、吐瀉物のにおいのする制服を脱ぎました。現実には終わりが無く、日常は残酷に時を重ねます。変わらずに明日はやって来て、担任はいつものように好奇の目で私を見るでしょう。この世は地獄です。それ以外の言葉を私は知りません。


拍手

<< NEW     HOME    OLD >>
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
原発牛乳
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
おかあさん
趣味:
おひるね
自己紹介:
かわいい女の子の写真を撮ったり行き過ぎた妄想を小説にしたりしています。
名前はアレだけど別にこわい人じゃないです。
ブログ内検索
最古記事
忍者アナライズ
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars