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猫背から生首まで
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2010年6月に書いたものです。
正統派メンヘラ小説。
当時好きだった人が重度のメンヘラだったため書いたものと思われます。
これも全然書いた覚えがない…


「宇宙の底」

 目を開けても闇が広がっていた。肌に馴染んだシーツの感触と、嗅ぎ慣れた血の匂いが、僕を夢から現実まで引きずり上げる。ついこの間まで動いていた時計は止まってしまった。今が何時なのかも分からない。闇の中、心臓だけが強く打ち始める。
 手探りで彼女の手のひらを探した。小さな、傷だらけの手のひらは、遥か遠くに転がっていた。必死でたぐり寄せ、壊してしまわないようおそるおそる握る。弱く握り返した瞬間に、彼女の呼吸を感じて僕は安堵する。
 もう何回目かも分からない。彼女の死にたがりの癖は、ただの癖だと分かっていても毎回僕を絶望に陥れる。

「ごめんね、また切っちゃった」
 メールと一緒に添付されたずたずたの腕と、真っ赤なタオル、カミソリ、血の溜まった洗面器の写真。嫌な予感はしていた。昨日彼女の家に行けなかったことが、僕はずっと気に掛かっていたのだ。目の前が真っ暗になる。倒れてしまいそうだ。全身をねばついた汗が流れて、僕は発作的に彼女の家まで走り出していた。
 息を荒げながら合鍵でドアを開けると、彼女は涙を浮かべて笑っていた。狂気じみたその笑顔に、居ても立ってもいられなくなり、一目散に走り寄る。
「えへへ、ごめんね、またやっちゃった」
 血まみれの手で彼女は僕の頭を優しく撫でる。胸に顔を寄せて、彼女が生きていることを確認する。目の前で動いていても全て僕の錯覚であるような気がして、体温を感じるまではそれを信じることが出来ない。
「切るのは構わない、でも、絶対に一人で死なないで。その時は僕も一緒に逝くから」
 何度交わされた会話だろう。彼女は申し訳なさそうに何度も「ごめんね」と呟く。僕は馬鹿みたいに涙を流した。血の溜まった洗面器に落ちた涙が溶けて行った。
 僕がそんな厄介な彼女を見捨てられないのは、数年前の僕を見ているようだからだと思う。僕には彼女の中の闇を取り払うことが出来ないのかも知れない。それでも、どうしても手放すことなど出来なかった。

 傷だらけの体を抱き寄せ、胸に顔を当てる。微かな鼓動が、僕の不安を少しだけ軽くする。冷えてしまった体を温めるように強く強く抱き締めると、彼女はそれに応えるかのように僕にしがみついた。目が慣れると同時に、闇が少しずつ薄くなる。灰色の視界に、ぼんやりと彼女の輪郭が浮かび上がった。頼りない小さな腕が、僕の自由を奪う。
「どこにも行かないでね」
 かすれた声が静寂の中に響いた。彼女の不安はどうしたら拭うことが出来るのだろう。僕は彼女に出会って自分に傷を付けることはなくなったけれど、僕にとっての彼女に、僕はなれないのだろうか。
「うん、ずっとそばにいる」
 永遠なんて存在しないことを、僕自身が一番よく分かっている。それなのに、僕はまた嘘を吐いてしまう。彼女は僕の嘘を嘘だと見抜いているのかも知れない。だから腕を切ることをやめられないのかも知れない。
 熱を取り戻した小さな額に口を付けると、彼女の頭が動いて僕の唇を探す。冷たい唇は、ほんのり鉄の味がする。血を全て舐め取って僕の唾液を流し込むと、ようやく彼女の味が還ってきた。
 柔らかい体に絡み付き、彼女の細部まで口を付ける。その度に上がる小さな悲鳴に、僕はとても興奮する。
「どこにも行かないで」
 小さな体を侵してしまうと、彼女は何度も同じ言葉を囁いた。僕は何度も嘘を吐く。いや、嘘じゃない。ずっとそばにいたい。でも、明日がどうなってしまうかなんて、僕も彼女も分からないのだ。
 永遠は保証されていないことを、僕は彼女に出会うまで知らなかった。彼女はいつも綱渡りをしている。孤独で過酷な作業を繰り返し、自分で自分を追い詰めている。何が彼女をそうさせるのか、本当のところは僕にも分からない。
「自分が嫌いだから」
 彼女はそう笑って言う。僕が今の彼女だった頃、僕も同じことを思っていた。でも、僕は彼女と出会って変わった。僕にとっての彼女に、僕はなりたい。それなのに。
 彼女は常に死と向き合っている。自分で死への道を選んで歩いている。彼女がいつまでもここにいるとは限らない。今日ここにあった体が、明日にはもう動かない。今僕の下で笑う彼女が、次の瞬間には呼吸を止めている。そんなことがあっても何もおかしくはないのだ。
 小さな空洞に射精をすると、彼女は僕の頭を抱き寄せて
「ありがとう」
 と言う。いつもだ。何に対する「ありがとう」なのか、未だ聞いたことはない。僕はうなずき
「どういたしまして」
 と返す。すると彼女は笑う。彼女を否定することだけはしたくない。否定されることは、とても悲しいことだ。それは僕もよく知っている。

「ホットミルクが飲みたくない?」
 腕の中で、彼女は小さく言った。汗ばんだ体にそれはあまり似つかわしくない気がして
「冷たいのじゃなくていいの?」
 と聞いた。
「うん、お砂糖いっぱい入れた甘いホットミルクが飲みたい」
 彼女は恥ずかしそうに笑う。彼女が望むなら、どんな熱いミルクでも飲み干してしまいたい。
 足元に転がる血の匂いがするものたちを蹴飛ばしてしまわないよう注意を払いながら、薄闇に目をこらしてキッチンへ向かう。流しの上の小さな蛍光灯の紐を引っ張ると、その明るさに目が眩んだ。
「眩しい、ね」
 Tシャツ一枚と下着だけの彼女は、そのまま崩れ落ちてしまいそうな細さだ。冷蔵庫を開けると、ヨーグルトとフルーツゼリーが並んでいる。それ以外には飲み物しか入っていない。彼女の食生活はずっとこうだ。変わらない。ポケットから牛乳を取り出し鍋に注ぐと、彼女は背中にしがみついた。
 ほのかな体温を感じながら、鍋を火にかける。焦げてしまわないように静かに揺らす。湯気が立ち始めたのを確認し、火を止めると彼女の体が離れた。細い腕が二つのマグカップを差し出す。去年買ったおそろいのマグカップの片方は割れてしまったから、違う大きさのカップだ。彼女は自分の体を傷付けるためには、その道具さえも厭わない。片割れのマグカップは、彼女に破壊され腕の上を滑った。
 砂糖を落とし、カップを抱えて流しの下に座り込む。ミルクは熱過ぎずぬる過ぎず、ちょうど良い温かさだった。猫舌の彼女には少し熱かったかも知れないな、と思い隣を見ると、案の定ふうふうと息を吹きかけていた。
 僕たちは流しの下にもたれ掛かったまま、言葉も無く時間を消費した。沈黙の中に時折響く虫の声が、夏の始まりを知らせている。彼女と出会って二回目の夏がやってくる。
 少しずつ窓の外が明るく始めた頃、ようやく彼女が口を開いた。
「このまま夜が明けないといいのにね」
 うん、とうなずいてカップに口を付ける。白い液体はぬるく、底に溜まった砂糖が流れ込んできて、その甘さに驚く。彼女のカップにはまだ半分以上ミルクが残っている。
 これが全部夢だったら、彼女と出会ったことも、彼女を愛したことも、今ここにいることも、彼女が隣で感じている孤独も、全てが夢だったら、僕は救われるのだろうか。彼女を救うことが出来るのだろうか。
 新聞配達のバイクの音が遠くで聞こえる。街は動き出している。彼女はミルクの残ったカップを脇に置いて、僕の腕を掴む。生々しい傷痕が残る腕に指を這わすと、じわりと血が滲んだ。腕を持ち上げ、傷痕にキスをする。血を舐め取ると、彼女は小さく声を漏らした。
 涙がすぐそこまで出かかっている。まぶたのすぐ裏には沢山の涙が待機しているのに、どうして泣けないんだろう。それは彼女も同じだ。真っ赤な瞳が優しく僕を見つめている。救われたいのは僕の方だったのかも知れない。
 僕は目を閉じた。広がる闇の中に、小さく光る星が浮かんでいる。ここは宇宙だ。二人だけの宇宙。夢ならば、このまま醒めずにゆらゆらとたゆたっていたい。このまま彼女と宇宙の底まで落ちて行きたい。
 それでも僕たちは、どこにも行けないことを知っている。だからこんなにも悲しいのだ。僕はきっと彼女を救えないだろう。彼女は彼女でいることが、きっと一番美しい。
 朝刊をポストに入れる音が、がこん、と大きく響く。僕たちは途方に暮れたまま、朝を迎える。

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先週載せた「雪の降った日」の続編です。
これも2010年12月に書いていたもよう。
この頃はホラーちっくなものばかり書いていて、精神的にちょっとアレだったのかなと思います!
でもこのシリーズ好きなので、連作短編集みたいなのいつか作りたいな…


「続・雪の降った日」

 紫色の太陽が教室を照らしていた。乱視用の分厚い眼鏡越しに見る児童たちは皆黒く焼け焦げていて、思わず自分の体を確認してしまったほどだ。私の体に異常は何もなかった。スーツの裾が少しほつれていたけれど、これは大分前からのものだった。切っても切っても糸が飛び出してくる。
「ちゃんと縫わないとだめなんですよ」
 そう言った妻の顔を思い出そうと必死に記憶の回路を辿るが、いつまで経っても妻の顔には目がなく、鼻もなく、口も耳も眉もなかった。真っ平らな顔は黒く塗りつぶされていた。
 私は教卓を離れ、教室の中を歩く。紫色の太陽は黒く焦げた子どもたちを容赦なく照らし、教室の中は物体が焦げたにおいとは別に、ポリエステルの洋服が、髪の毛が、人体が焼けた独特のにおいで満ちている。私が愛する死体のにおいとはまた違う、嫌いではないがあまり受け付けないにおい。
 窓を開けると、紫色だったはずの太陽がじんわりと赤みを帯びているのが分かった。先ほどまで降っていた雪は既に溶け始め、赤紫色となった太陽に照らされ赤い水たまりを作っている。
 深呼吸をした。冷たい空気が肺に満ちると、吐き気がした。耐えきれず、そのまま窓の下に吐瀉してしまう。給食のトマトスープとフルーツヨーグルトが混じった、桃色の吐瀉物がアスファルトの上を汚した。
「先生大丈夫?」
 思わぬ声に胃袋の収縮が大きくなった。大量の血液が吐瀉物の上に落ちる。
「……大木?」
 声の主は大木という児童だった。授業中、お腹が痛いと言って保健室に行ったはずだった。
「お腹は、いいのか?」
 口のまわりを手の甲でぬぐいながら大木に問う。よく見ると大木は大木でないような、妙な違和感があった。
「お腹? 何のこと? それより何でみんな死んでるの?」
 どうやら私の目の前に立っているのは、五年一組の、弟の方の大木のようだ。私が受け持っている兄の方の大木は、弟とは対照的に大人しく真面目で、決して私にこんなくだけた話し方をしない。
「ねえ、何でみんな真っ黒になってるの? 死んじゃったの? ナツキは?」
 ナツキというのは兄の名前だ。大木は私のスーツをつかみ、なんで、なんで、と嗚咽を漏らした。
「お兄さんなら保健室に行ったよ」
 黒い髪の毛に手をのせ、ぽんぽんとたたく。大木は顔を上げ、一気に明るくなった表情で嬉しそうな声を上げた。
「本当!?」
「うん。授業中にお腹が痛いと言って保健室に行ったんだ。だからまだ保健室にいると思う」
 大木は安堵の表情を見せた。
「良かったあー」
 大木は胸に手を当て、大げさに息を吐いた。そして、時間をかけてその表情は歪んでいった。私は男子の割に細いその首に両手をかけ、ゆっくりと力を込める。一体ぜんたい何が何だかわからない、異常な世界で唯一見つけたまともであろう人間に首を絞められて死ぬというのは、どれほどの困惑を招くのだろう。私はとても愉快な気持ちになって、わざと少しずつ力を加えていった。
「……っごぇっ…ぶっ……ぼ……」
 色白の、子ども特有のすべすべした肌が、赤く染まっていく。いつの間にか声を出して笑っている自分に気が付いた。大木の体が力なくしなだれ、赤い顔が白色に戻っても、私は大木の首を絞め続けた。このままひねれば首が取れてしまいそうな気もした。
 手を離すと呆気なく崩れ落ちた。足元に転がった、大木だった塊を見て、私は今日と同じように雪が降った日のことを思い出していた。

 十二年前のことだ。今日のように朝からひどく冷え込んでいた日で、そのとき私はまだ教育実習生だった。卒業した高校で、二週間だけ数学の授業を教えていた。その頃はまだ小学校の教員になるつもりはなく、高校で数学を教えたいと思っていたのだ。
「桜井先生って彼女とかいるんですか? 先生と仲良くなりたいです」
 一人の女子生徒から小さく折りたたまれたメモ紙を、授業を終えて教室を出た直後に渡された。ポニーテールのよく似合う、小柄な、可愛らしい子だった。確かバレー部に所属していて、天野という名前だった。
 実習のレポートを書き、翌日の準備をし、帰ろうとしたときに雪が降ってきた。二十二年間生きて来て、それが初めて見た雪だった。白くはらはらと儚げに舞うそれは、手のひらの上ですぐに溶けてなくなった。ひたすら雪に手を差し出す私の背後で、くすくすと笑う声が聞こえる。天野だった。
「笑うなよ」
 恥ずかしくなって愛想も何もなしに呟いた。天野はまだおかしそうに笑っていた。
 私は昼間受け取ったメモ紙のことを思い出した。それまでは天野のことなど一切気にしたことが無かったし、教育実習の内容で毎日頭が混乱していて、それどころではなかった。メモ紙も、申し訳ないと思いつつ小さく破って職員室のゴミ箱に捨てた。
「先生って、意外とかわいいところあるんですね」
 天野の声はころころと跳ねるようにして鼓膜に届いた。その声は、私の中にあったひとつのつぼみを開花させるのに十分すぎるほどの湿り気を帯びた、美しい声だった。
 私は天野に近付き右手を伸ばした。大きな両の瞳は不思議そうに私を見つめていたが
「傘入れてくれない? 仲良くなりたいんでしょう?」
 そう言うと顔を真っ赤にして嬉しそうにうなずいた。
 ぼたぼたと傘の上に落ちてくる雪の中を、取りとめのない話をしながら歩いた。天野は東北の出身で、小学生のころまでは毎年雪を見ていたという。
「東北の雪はもっとパサパサしてるんです。こっちの雪はなんか、ベトベトしてるっていうか……」
 傘に落ちる雪の音が異常に大きくて、ほとんど聞き取ることは出来なかった。それでも、天野の耳が異常なくらい赤く染まっているのはよくわかった。寒さのせいか、それとも。
 私たちは海岸に沿って歩いた。海は荒れていたが、ねずみ色の空の中を舞う雪が白い波に飲み込まれていく様は、純粋に綺麗だと思った。
「ちょっと休んでかない? あったかいものおごるよ」
 夏になると海の家が並ぶこの辺りの海岸には、使っていない古い小屋がいくつも建っていた。私は時々その小屋の中で一夜を過ごすことがあった。実家に自分の部屋がなかったということもあるが、それ以外に特に深い意味があるわけでもない。波の音だけが聞こえる、明かりも何もない暗い部屋の中で寝転がっていると、今はもう思い出したくないことや、嫌な記憶から逃げ出すことが出来た。無心になって波が打ち寄せる回数だけを数えていれば、小学生の頃のいじめも、母親の失踪も、祖父の自殺も、すべて無かったことに出来た。
 私たちは潮風に当たり錆びてしまった古い自販機であたたかい缶コーヒーを二本買い、小屋の中に腰を下ろした。
「意外と綺麗でしょ? 寒くないし」
 私がそう言うと天野は、はい、とにこにこしながら答えた。缶コーヒーで意味もなく乾杯をして、私たちはまたどうでも良い話の続きをした。雪が当たらないせいか、先ほどよりも天野の声はよく聞こえた。
「先生、今日はなかなか暗くなりませんね」
 今となっては何がきっかけだったかは分からない。その声がきっかけだったのかも知れない。
 言われてみれば、と小さな窓から外を覗くと、雪はいつの間にか止み、紫色の太陽が海を照らしていた。時計を見ると、午後六時を回ったところだった。
 隣に立ち、同じように窓の外を眺めている天野の耳たぶに触れると、思いのほか冷たかった。天野は驚いた表情で一瞬身じろぎをしたが、すぐにすべてを覚悟したかのような顔でゆっくりと目を閉じた。
 首に巻かれたマフラーを力いっぱい締め上げる。両手が私のコートに触れたが、しばらくすると体は芯を失ったようにだらしなく伸びた。閉じていたはずの目は思いがけない裏切りにより大きく見開き、声にならない声が私の名前を呼んでいた。
 生まれて初めて雪を見た日に、私は初めて人を殺した。雪のせいだった、というのはきっと言い訳として通用するものではないだろう。しかし、雪が降らなければ私はきっと天野を殺すことはなかった。
 マフラーを離すと、天野は大きな音を立てて床に崩れ落ちた。捲くれたスカートから突き出した白い脚に、私は興奮を覚えた。もう二度と動かない天野の上に馬乗りになり、頭のてっぺんから足の先まで執拗ににおいを嗅いだ。首筋を舌で舐め上げると、うっすらと塩味のきいた死人の肌の味がした。まだぬくもりの残る天野の膣内を指で掻き混ぜる。私はその行為だけですぐに射精してしまった。
 いつの間にか辺りは闇に沈み、私はその夜、家に帰らず天野の死体と過ごした。死体を抱きしめて眠り、小屋の中に差し込む朝日で目が覚めた。隣で横になっている天野の死体を見ると、私はまたすぐに欲情した。硬くなり始めた体に無理矢理私自身をねじ込み、射精した。閉じた襞の中から精液が垂れてくるのを見て少しだけ我に返り、脚を閉じ、脱がせた制服を死体の上に被せた。
 前日の昼から何も食べていなかったせいか、無性に腹が減っていた。私は天野を食べることにした。小屋に置かれていた斧で頭部、両腕、両脚を切り落とす。細かく切断したあと、持っていたライターであぶって少しずつ口に含んだ。今まで食べたことのない味が脳内を駆け巡り、飲み込むと胃袋の中で暴れるように熱を持った気がした。
 それから私は長い時間をかけて天野を食べた。腹が膨れても構うことなく、口の中に目一杯突っ込み、咀嚼して飲み下した。
 体を全て食べてしまったあと、頭部はしばらくの間部屋の隅に飾っておいた。
「ただいま」
 そう声を掛ければ
「おかえりなさい」
 と返ってくる気がして、大きく目を見開いたままの天野の頭を何度も撫でた。

 足元に転がっている大木の死体を見ても欲情はしないが、さっき吐いてしまったせいもあるのか腹がぐうと鳴った。あれ以来、私は人の味を覚えてしまった。図工室に行けばのこぎりがあるだろう。子どもの肉はまだ食べたことがない。どんな味がするのだろう。
 私は図工室に向かおうと、教室の扉を開けた。廊下には五年一組の児童の頭が転がっており、半分だけ開いた扉からは血まみれの子どもたちが重なって飛び出していた。
 私は高鳴る胸を抑えきれず、扉の中をのぞいた。五年一組の教室はまさに地獄絵図と呼ぶにふさわしく、首の無い子どもたちが様々な方向を向いて横たわっていた。一歩中に入ると血のにおいで鼻腔がぶるぶると震え、喜びを表現した。
 足元の血だまりをぴちゃぴちゃと踏みしめながら教室を一周する。窓のそばに黒い大きな塊が転がっていた。よく肥えたその塊は、五年一組の担任の山田先生のようだった。背中には私のクラスの大木がしがみついていた。私はしゃがんで大木の頭を撫でる。焦げた髪の毛が指に絡まってぱらぱらと床に落ちた。
 その目線の先に、鎌を持った女子児童の死体が転がっていた。名札を見ると「天野」と書いてある。私は首の無い少女を抱き上げ頭を探した。三年生の時に担任を持っていたから、天野の顔は知っている。それはすぐに見つかった。
 十二年前の天野の顔と少女の顔が、今重なる。私は再び腰を下ろし、天野の服を脱がし始めた。


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水曜日は昔書いた小説を載せる日!

2010年12月に書いた小説です。
書いた記憶全く無くてびっくりした。


「雪の降った日」

 めったに雪の降ることのない海のそばのこの町に、はらはらと白い綿毛のようなものが舞い落ちて来たのは、今日のお昼すぎのことでした。ずいぶん冷え込んでいましたし、どんよりとした灰色の空は今にも落ちてきそうで、教室の窓の外を雨よりも大きな、白い塊がふわりふわり舞っているのを見て、これは間違いなく雪であると、私を含むクラスメイトたちは大騒ぎしたものです。
 ちょうど給食が終わったあとの昼休みの時間でした。男の子たちは
「雪だー!」
 と叫びながら外に飛び出して行き、そんな男の子たちを見ながら半ば呆れた顔をしつつも、わくわくと胸の底で小人がスキップを始めたかのような、何とも言えない高揚感に満ちた表情で女の子たちは窓の外を眺めていました。
 最後に雪が降ったのは私が生まれる前だったと、おばあちゃんから聞いたことがあります。太平洋岸に面した、冬でも比較的暖かいこの町に雪が降ることなど、本当に稀なことだったのです。つまり私は生まれて初めて雪を見たということになります。本やテレビなどで見ることはあっても、実際体験したことのないこの状況に、私の心は浮かれていました。空から降るその白い物体が雪であると、誰もが信じて疑わなかったのです。
 昼休みが終わるチャイムが鳴り、男の子たちが教室に戻ってきました。皆、鼻を真っ赤にして興奮気味に雪の感想を述べています。
「冷たかった」
「舐めたら少ししょっぱかった」
「なんかちょっとぬるぬるしてた」
 雪に関する情報といえば、「冷たい」と「白い」しか無かった私たちは、感嘆の声を上げながら男の子たちの話を聞いていました。窓の外の雪は少し勢いを増し、量も少しずつ増えています。
「大木、どこ行った?」
 学級委員長の水嶋くんが、辺りを見回しながら言いました。そういえば、先ほどからクラスで一番のお調子者の大木くんの姿が見えません。雪が降り出したとき、真っ先に校庭に飛び出して行ったのは大木くんです。
「まだ外にいるのかな?」
 水嶋くんが窓の外を見ながら首をかしげました。
「ていうかもう授業始まってる時間だよね? 何で先生は来ないんだろう?」
 私の隣にいたリカちゃんが言いました。リカちゃんはクラスで一番仲の良い女の子です。
 皆で一斉に時計の方を向くと、昼休みが終わるチャイムが鳴ってから十五分ほどが経過していました。廊下に一番近い位置にいたえり子ちゃんが、窓を開けて廊下を覗き込みます。
「他のクラスは授業やってるみたいだけど……。誰かほかの先生に言いに行った方がいいのかな?」
 数人が廊下側の窓の付近に集まりました。好奇心を抑えられない私もついつい窓から廊下に身を乗り出します。隣の五年二組の教室からは、学年主任の桜井先生が国語の教科書を読む声が聞こえていました。
 教室の中が一気にざわめき立つのと同時に、雪もどんどんひどくなって行きます。斜めに吹きすさぶほどの強い雪の模様など、ニュースでしか見たことがありませんでした。
「積もるかな?」
 リカちゃんは今のこの状態を面白がっている様子です。にやにやしながら言いました。私はこのおかしな状況に少しだけ恐怖を感じていたのですが、それを悟られることが何だか恥ずかしく思えて、無理矢理笑顔を作って相槌を打ちました。
 五時間目が終わるチャイムが鳴りました。結局担任の山田先生も大木くんも戻って来ませんでした。
 二組の授業が終わったタイミングを見計らって、水嶋くんとえり子ちゃんは桜井先生を呼びとめるため廊下の外に出ました。教室にいた大半のクラスメイトたちがその姿を見ていました。えり子ちゃんのポニーテールのリボン、水嶋くんの少しだけはねた後ろ髪、二人の身長差はほとんど無いように見えました。
 次の瞬間、先に廊下に出たえり子ちゃんの首から上が無くなっていました。勢いよく飛び散る血しぶきと、えり子ちゃんの頭がごろごろと廊下を転がって行く音。私は何が起こったのかわけが分かりませんでしたが、反射的に隣にいたリカちゃんの手を強く握りました。
 間髪入れる間もなく、水嶋くんのお腹を突き破って何かが教室の中に飛び込んできました。口に何か細長いものをくわえて大きな鎌を持ったそれは、今朝見た山田先生の服装と同じ格好をしていました。水嶋くんはお腹から血と内臓のようなものを垂れ流しながら、ゆっくりとその場に倒れました。
 私たちはパニックに陥り、悲鳴、叫び、泣き声、誰かの怒号、そしてなぜか黒板の上のスピーカーからはジリリリリリというサイレンが鳴り始めて、教室は音の洪水に巻き込まれました。私とリカちゃんは手を握ったまま机の下に逃げ込み、体を小さくしてぎゅっと目をつぶりました。
 目を開けてはいけないと思いました。頭の中でおばあちゃんに教わったお経を唱えながら、今が一体どういう状況なのかもわからずに心臓の鼓動がどくんどくんと速く打つその動きを体の中で感じていました。
 山田先生は教室の中をムササビのように飛び回っているようです。びゅんっという風を切るような音のあとに誰かの叫び声、ごろごろと転がる首の音が聞こえ、次第に皆の声は少なくなっていきました。
「ぎゃっ」
 すぐ近くで声がしたかと思うと、握り合っていたはずのリカちゃんの手の力が弱まり、何かべとべとしたものが顔にたくさんかかりました。口の中に少しだけ入ってきたそれは、鉄の味がしました。
 次は私の番だ。もうクラスメイトの誰も残ってはいないようでした。
 ガタガタと音が聞こえるほどに震えていると、スカートの中が濡れているのに気付きました。どうやら恐怖のあまりおもらしをしてしまったようです。目をつぶってはいましたが、私の足元にはクラスメイトたちの血液と漏らしてしまった尿でびしゃびしゃに濡れているのが分かりました。きっと私はこのまま殺されてしまう。
 そのとき、ずっと鳴り続けていたサイレンの音が止みました。それと同時に、私のまぶたの中に強い光が差し込んで来ました。それは目をかたく閉じていても感じられるほどに強烈な光で、その一瞬だけは意識が少しだけ遠くなりました。
 私の意識がどこかへ放り出されている間、私は様々なことを思い出しました。リカちゃんに貸したままのマンガのこと、一年生のとき大木くんに意地悪をされて泣いていたこと、二学期の初めに死んでしまった飼育小屋のうさぎを死なせたのは私だと疑われたこと、山田先生が授業中に「カーッ」と言って痰を吐くようなしぐさをするのが嫌いだったこと、今朝お母さんと喧嘩したまま謝っていないこと、おばあちゃんが「雪の降る日は良くないことが起こるでねえ」と言っていたこと。
 意識がかえってくるのと同時に私は目を開けてしまいました。窓の外の雪はすっかり止んで、強い太陽の光が教室の中を照らしています。おそるおそる周りを見渡すと、首の無くなったクラスメイトたちが大勢横たわっていました。立ち上がろうにも、足元の血の海に足を取られ、なかなか立つことが出来ませんでした。そう、それは血の海と呼ぶにふさわしいものだったのです。
 窓のそばに山田先生が倒れていました。鎌を持ってはいましたが、全体的に黒く焼け焦げていて、生きてはいないようでした。背中には片腕のない大木くんが山田先生の首に巻きつくようにして乗っかっていました。頭はくっついていましたが、真っ黒に焦げて表情など何も分かりませんでした。
 私は這いつくばるようにして窓のそばまで行くと、太陽に照らされた校庭を眺めました。さっきまで降っていた雪のせいで、校庭はたくさんの水たまりが出来ていました。その水たまりの水はどれも赤く、血だまりのようにも見えました。
 教室の中で、一人生き残ってしまった私は、これからどうすれば良いのでしょう。私は途方に暮れました。そりゃあ私はクラスメイトの皆のことが大嫌いで、みんな死んじゃえばいいのに、って毎日願っていたけれどこれはさすがにやり過ぎじゃあないかな、って、そう思えたら何だか笑えてきました。そして山田先生の握っていた鎌を手に取り、首にあて、思い切り横に引きました。自分の首が飛んで行く感覚、冷たい床の血のにおい。最期の記憶を持って私はみんなのいる世界に旅立ちました。何だかんだ言っても、やっぱり私はクラスメイトのみんなを嫌いにはなれないようです。


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プロフィール
HN:
原発牛乳
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性別:
女性
誕生日:
1984/09/21
職業:
おかあさん
趣味:
おひるね
自己紹介:
かわいい女の子の写真を撮ったり行き過ぎた妄想を小説にしたりしています。
名前はアレだけど別にこわい人じゃないです。
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