猫背から生首まで
※更新したのは1/14(月)です
昨日何も浮かばなくて、今日一日ずっと考えていました。
その結果、いつも似たようなこと書いてるな、と思いながら私はこういう話が一番好きなんだなって気が付きました。
タイトルは思い浮かばなかったので今のところ無しです。
もうずっと長い間、痛みの中にいました。ここは真っ暗で何も見えません。痛みの海はひたひたと私のすべてを飲み込んで、私という意識を潰そうとしています。最後に言葉を発したのはいつだったっけ。最後に笑ったのは、最後に泣いたのは、最後に人を憎んだのは、いつだったっけ。思い出せない。私はあの日からずっとここにいます。母に殺されたあの日から。
母にとって私はただの邪魔者でしかなかったこと、物心が付いた頃にはとっくに気付いていました。母は私に虐待や体罰を与えない代わりに、何も与えてはくれませんでした。生きていくのに必要最低限のもの、食事や衣服や寝床は用意してくれましたが、母親が子どもに与えるべき愛情だとか、しつけ、教養、言葉のひとつも、私は与えられることはありませんでした。
母は私の存在を無いものとして生きていたようです。私ははじめ、自分は耳が聞こえないのかと思いました。母の声が聞こえない。でも、それは私の勘違いで、母が私に向けて言葉を放ったことが一度もなかっただけなのです。では、母は聾唖の者なのか? と次に考えました。しかし夜な夜な連れ込む知らない男たちの前で、母は嬉々として女の声をあげました。私には決して向けられることのない言葉を、軽々しくも母は投げかけます。私はあの豚のような男たちよりも低い立場に存在している、いないものとされている、イコール、ゴミ。母にとって私は捨てるに捨てられないゴミだったのです。捨てられないだけマシだと思った方が幸せなのかも知れません。
私は家から一度も出たことがありませんでした。古いアパートの二階が私と母の家で、二つある部屋のうちのひとつで私は暮らしていました。部屋は襖で区切られていて、トイレやお風呂は自由に使えましたが、母以外の誰かが家にいる時は部屋から出られませんでした。私は雰囲気でそれを汲み取り、母に言われなくともそれを遵守していました。食事は一日二食、昼前と夜中に母の残飯が部屋に置かれます。冷めた残飯を食べている時は何も考えなくて良いので幸せでした。部屋の中はいつも暗く、冬になるととても寒くて、私はぺらぺらの薄い布団にくるまって一日が過ぎていくのを待ちました。ずっとずっと、そうして過ごしていました。
私は自分が何歳なのかも知りませんでしたし、もちろん名前もありません。あるのかも知れないけれど、呼ばれたことがないのでわかりません。いつになればここから出られるのか、死ぬまでここにいなければいけないのか、いくら考えても答えは出て来ませんでした。
もうずっとこのままなのかも知れない。そう思ったある日の夜、私は暗闇に放り込まれました。眠っている間に殺してくれたことこそが、母の最大の愛情表現だったのかなと、今は思えます。私は目を開けることが出来なくなりました。体も自由に動かせません。漂う意識の中で、これがいわゆる「死」であることを悟ります。死んでも意識は残るということを、死んでから初めて知りました。暗い闇の中にあるのは痛みです。どこが痛いとか具体的に説明は出来ないけれど、ただひたすらに痛いのです。最後に残った感情が「痛い」というものだけだったのか、それともここには本当に痛みしかないのか。誰かに聞きたいけれど誰もいません。私はこの闇の中で膝を抱えて途方に暮れるしかなかったのです。
次に母と対面した時、私は初めてきちんと母の顔を見ました。目尻のしわや頬のたるみが以前よりも増えたようで気になるけれど、それはやっぱり私が知っている母の顔でした。
母は私に初めて言葉をくれました。
「生まれてきてくれてありがとう」
そして私の名前を呼び、抱きしめ、涙を流しました。
また母の子どもとして生まれてしまったのは、不幸なことなのでしょうか。神様は意地悪ですね。次の人生ではちゃんと愛されて過ごしたいです。私を殺した母にそれが出来るのか分かりませんが、もしまた同じことを繰り返すようであれば今度は私が母を殺したいと思います。痛みはまだ取れません。
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名前はアレだけど別にこわい人じゃないです。
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